毎年7月末に開催される防府おどりは、その前身となる防府産業祭が昭和37年に始まって以来の歴史がある。当初は「山車」を出してパレードをする形式だったが、昭和43年に徳島の阿波踊りなどを参考に「防府おどり」を考案。作曲は八代亜紀の「なみだ恋」などで知られる防府市出身の鈴木淳、作詞は石本美由起、歌は都はるみが歌っている。「♪ちょるちょる やっちょる 踊っちょる」という方言を交えたリズミカルな歌詞とともに、老若男女がしなやかに踊る姿は、防府の夏の風物詩となっている。
防府YEGは昭和62年度から平成26年度までの27年間にわたって、防府おどりの運営に携わってきた。初年度は、それまで誰もが「できない」と考えていた防府駅前ロータリー(現在のてんじんぐち=北口)での開催にこぎつけ、まつりに新たな息吹を吹き込んだ。それ以降、人口10万人強のまちで、一度に8万〜10万人が集うまつりに成長した。
だが、「マンネリ化」を理由に平成26年度を最後とすることが決まった。当時のメンバーたちからの反発もあったが、最後にふさわしい盛大なまつりを催して、防府おどりの幕をいったん下ろした。
こうして、防府YEGの手から防府おどりは、いったん離れた。だが、防府おどりは翌年以降も続けられた。終了を惜しむ市民の声を抑えることができなかったからだ。翌平成27年7月には、会場近くの中心商店街の空き地で、有志が「盆踊り」という形式で開催。平成28年には市民の声に押される形で、JR防府駅みなとぐち(南口)ロータリーで、以前よりも規模を縮小して再開された。ただ、その運営に防府YEGがかかわることはなかった。
新型コロナウイルス禍で、令和2年から2年間は開催を中止。現在の会頭はYEGのOBでもあり、かねて防府おどりはYEGが担うものだという考えを持っておられた。コロナ禍を契機に、当時の会長と次年度予定者の「三者会談」が設けられ、令和4年度から防府YEGが再び防府おどりの運営を担うことが決まった。
ただ、令和4年度といえば、まだコロナ禍の真っただ中。大規模イベントをこの時期に開催していいのかという議論から始まり、開催北側なのか南側なのか等々。開催は、かつて防府YEGが運営を担っていたときと同じ北側を会場とし、感染予防対策で踊り手はマスク着用、2メートル以上の間隔を取るといった対策を講じた。大手企業の中には厳しいコロナ対策をしているところもあり、申し込みは十数団体ほど。それも開催日が近づくにつれて、社員に感染者が出たなどの理由で辞退も相次いだ。結局、8企業・団体の約400人の踊り手と約4000人の人出で初年度は終わった。運営にも課題を残した。昔のまつりを知るメンバーは、そのほとんどが既に卒会済み。コロナ禍で対外事業の2年近く実施していない中で、事業の組み立て方や関係団体との交渉事、当日の人員配置や動きなど、ただただ手探りだった。
こうした課題を踏まえ、2年目となる令和5年度はさまざまな改善を施した。一つの例として、バルーンライトの管理を挙げる。当日は30基余りのバルーンライトを使用するが、初年度は来たものをすぐに設置場所に持っていっていた。その結果、撤収段階で発注個数と実際の個数が合わず、1基足りないというトラブルが起きた。実際は、発注個数よりも1個少ない数しか持ってきていなかったのだが…。改善策として、あらかじめバルーンライトに番号を振り、その番号の箇所に持っていくようにした。搬入時、撤収時にそろっているかを確認するチェックシートも作った。令和5年度以降、このようなトラブルはなくなり、作業の効率化にもつながった。
令和5年度は、会場一帯の雰囲気づくりにも気を配った。約300メートルの沿道をちょうちんで飾り付け、まつりの雰囲気を演出。一部を防府市内の企業様に協賛という形でご負担いただく仕組みも作った。おどりコースの終着点付近にはやぐらを設置。踊り手からもゴールが分かりやすくなったと好評だった。この年は、新型コロナウイルスに関する規制がなくなったこともあり、19団体約800人が参加し、来場者は約1万5000人となった。
令和6年度は、また新たな課題が生じた。会場となるJR防府駅一帯のまちづくりの進行に伴う周辺環境の変化だ。おどり会場に隣接する市道、愛称プリズムストリートが令和6年3月に開通。9月には防府駅の南北をつなぐ自由通路の開通が控えていた。こうした変化を運営に取り入れる必要があった。プリズムストリートは、踊り手の待機場所として活用。南北自由通路の開通を見据え、駅南側も新たに会場として加えることにした。
南側会場では、子どもたちが郷土への愛着をもってもらう一つのきっかけが防府おどりであってほしいという思いを込め、「こども縁日」を開催することにした。北側会場と同じようなやぐらを組んで、その周りでボランティアの高校生と一緒に子どもたちに防府おどりを踊ってもらった。かつては、市内の小中学校の運動会や体育祭で必ず踊っていたという防府おどりも、ここ10年余りで廃れてしまったこともあり、みんな踊る姿はバラバラ。これを見たYEGメンバーたちは、さらなる浸透を図る必要性を痛感した。でも、みんな笑顔だった。それでいいよね、と思ったが、そうは問屋が卸さない。思いもよらないほどの来場があり、大混雑で会場はパニック寸前。幸い、大きな事故やトラブルには至らなかったものの、一歩間違えれば楽しいイベントが暗転してしまう恐ろしさと、事前の対策をもっと念入りにしなければならないことを学んだ。
北側の団体のおどりは、24団体約1300人が参加。全体の人出は約4万5千人にまでになった。初年度と比較すると、参加団体数は8倍! 人数は3倍! 人出は10倍超! 年を追うごとに、成長していくまつりの姿を体感できた。ただ、協賛ちょうちんの募集や熱中症対策などで関係者間の調整や意思疎通がうまくいかない場面もあり、大勢の人たちを巻き込んで事業を進めることの難しさを改めて痛感させられた。
さて、3年をかけて「ホップ・ステップ・ジャンプ」で規模感を大きくしていった防府おどり。コロナ禍で希薄になっていた人と人とのつながりを取り戻すことにもつながった。そのことは、3年間の「数字」が物語っている。年を追うごとに市民の期待の高まりをひしひしと感じた。市民に愛されている防府おどりを創り上げるのは防府YEGだという気概を持つとともに、メンバー一人一人にとっての防府おどりが愛されるより愛したいものにしなければならない。防府YEGにとっても、コロナ前を取り戻すために必要な3年間でもあった。ある意味で最高潮に達している市民やメンバーの期待を裏切ることなく、さらに膨らませるためには、次年度以降の取り組みが重要になってくる。鍵は開通した南北自由通路。円滑な運営のために、もとは駐車場だった場所を「通路にしてほしい」と、再開時の委員長が市に訴えて実現した。新たな可能性を残しながら、防府おどりは防府YEGのメンバーとともに、もっと成長していく。そんな単会を代表する看板事業の礎を再び築くことができた3年間の締めくくりとなった。
単会情報
- 単会名
- 防府YEG
- 主催者名
- 幸せますフェスタ実行委員会(防府商工会議所、防府商工会議所青年部、防府市などで構成)
- 事業ジャンル
- 地域貢献
- 事業名称
- 夏の幸せますフェスタ 防府おどり
- 開催日時
- 令和6年7月27日(土)
- 開催場所
JR防府駅周辺(笑顔満開通り、プリズムストリート、であいの広場)
- 詳細URL
- http://www.hofuyeg.net/event/
- 単会会員数
(事業開催時) - 61人
- 事業参加会員数
- 40人
- 参加率
- 65.6%