開催目的
長崎YEGの全体事業である「ながさきみなとまつり」に全会員で積極的に参加し、長崎市内最大の夏祭りイベントとして市民・観光客が心から楽しめるよう寄与する。また、「先賢行列長崎さるき」では参加者・関係者の『満面の笑み』を引き出せるよう全会員一丸となって取り組む。
内容
″長崎″と″さるき″
鎖国時代、長崎は日本で唯一西欧との貿易窓口として開かれ、これまで日本には無かった、砂糖やカステラなどの南蛮菓子、西洋料理などの食文化。蘭学や西洋医学。現在の私たちの生活にも身近なバドミントンやビリヤード、ボウリング場なども長崎から全国へ広がり、日本の近代化に重要な役割を果たしました。
長崎ではこれら文化の流通に「陸路」ではなく「海路」が影響しています。
ポルトガル貿易船が初めて長崎港に渡ってきたのは元亀2年(1571年)。長崎は長崎港開港を先駆け、貿易都市へと発展します。
我々、長崎YEGは「海」や「港」に歴史を持つ長崎、長崎港の開港に尽力された幾多の先賢を偲ぶ、先賢達の功績を顕彰する事業として平成15年度より『先賢行列長崎さるき』をスタートさせます。
先賢行列長崎さるきの歩み
1.「はじまり」
平成15年度
先賢行列長崎さるき事業スタート
- 長崎の歴史を勉強
- 山車制作11基
- 参加者300名超
- 仮装パレード
2.「変革①」
平成24年度
- 山車のパレードにダンスを取り入れる
- 独自の演舞制作
- YEGがメインで演舞
- 山車も修理しながら使用する
3.「継続」
平成25年度
- 演舞しながら進行するスタイルへ変化
- 演舞ルート見直し
- 山車6基
- 山車の老朽化を懸念
- パレード229名
4.「変革②」
平成27年度
- 山車パレードを廃止
- 演舞をグレードup
- 250mの道路を光のステージへと創造
- 公衆用道路を使用
- 演舞参加550名
5.「成長」
- ダンスコンテスト化
- 表彰台の設置
- 演舞ルート見直し
- 幼稚園~70代と参加者層があふれるイベントへ成長
6.「コロナ禍」
- イベントの在り方を協議
- 余儀なく中止へ
- 自分たちに何ができるのかを再確認
7.「現在」
令和6年度
- ながさきみなとまつりメインステージでの演舞~花火カウントダウン進行
→メインパーソナリティーを務める - 演舞ルートがみなとまつりの会場内を運行
- みなとまつりと一体化
- 演舞参加831名
はじまり
「長崎市の商興業者からの協賛と観客を誘致し、経済的な成果を実現する」先賢者とゆかりある人物をデザインした山車の制作、揃いの法被で長崎市中心商店街から長崎港までを練り歩く。市民へ対し長崎独自の歴史や文化、地元に対する市民の認識を深める。
- (シーボルト)日本での西洋医学の普及
- (岩﨑彌太郎)三菱財閥繁栄の立役者
- (本木良永)西洋の自然科学、日本に初めて地動説を紹介
- (トーマス・グラバー)武器商人・炭鉱開発・ビール開発 など
″葛藤″想いがぶつかる
- 事業の継承
- 山車の老朽化・・・
- コストがかかりすぎてる?
- 山車の移動が負担に
- 山車の保管が・・・
- このスタイルを継続する?
- 先輩たちの思い
成長とは、変化を恐れないこと。挑戦すること。
事業の変革
山車・仮装パレード ⇒ ダンスへ移行 先賢者を敬い、先輩の熱意は残したい!
山車から歌詞へその想いを乗せ、自分たち(青年部)で行う事業から市民を主体とする事業
『長崎さるき』ダンスコンテストへと大きく転換することとなります!
変革の中でのこだわり
長崎が好きな子どもを育て、郷土愛を育成する為に、踊る曲の歌詞には、
- 長崎ゆかりの場所や物を取り入れ
- 長崎独自の「ことば」「方言」を使用
- めがね橋やハタ揚げ、夜景をイメージした振り付けを取り入れ
- 覚えやすく誰もが踊れるように工夫
先賢行列長崎さるきの歌詞
- 鶴の港の長崎で和華蘭街ばさるこうで さるこうでさるこうで 先賢担いでさるこうで
オランダ坂できゃーぶって出島 丸山 眼鏡橋 さるこうでさるこうで
先賢担いでさるこうで
さるこうでのぼすうでさるこうでのぼすうで ヨイヤヨイヤとさるこうで - 稲佐の山から見渡せばひかり溢るる坂の街 さるこうでさるこうで 先賢担いでさるこうで
さるこうでのぼすうでさるこうでのぼすうで ヨイヤヨイヤとさるこうで
だいでいかんでんさるこうで - 異国情緒な港街 空にはためく喧嘩凧 さるこうでさるこうで 先賢担いでさるこうで
さるこうでのぼすうでさるこうでのぼすうで ヨイヤヨイヤとさるこうで
だいでいかんでんさるこうで
さるこうでヨイショ×6 だいでいかんでんさるこうで
太字は長崎の名所など
- 和華蘭街=日本・中国・オランダが交わった長崎独自の文化様式
- オランダ坂=長崎の名所(坂)
- 出島 丸山 眼鏡橋=長崎の名所
- 稲佐の山=稲佐山※世界三大夜景
- 異国情緒な港街=長崎港
- 喧嘩凧=長崎の風物詩
斜体は長崎の方言
- さるこうで=歩こうで
- きゃーぶって=かっこつけて
- のぼすうで=調子に乗る
- ヨイヤヨイヤ=掛け声(祭り毎で使用)
- だいでいかんでん=誰でもかれでも
令和6年は「先賢行列長崎さるき」が市内最大の夏祭りである
「ながさきみなとまつり」のメインステージの大トリを飾る
メインステージだけでなく、イベント会場の様々なエリアで演舞を披露!全長300mの演舞ルート!市民を巻き込む!まつりを巻き込む!長崎をひとつに!!
令和6年「ながさきみなとまつり」には14万人が来場しました。
平成15年度にスタートした「先賢行列長崎さるき」は、当初より、長崎の経済、文化の振興発展に寄与するという趣旨のもと実施されてきました。
その「想い」は、現役YEGへとタスキが繋がれています!
″地域貢献″へ
現在の『先賢行列長崎さるき』の位置づけは、
- 企業の新入社員の教育・人材育成の場として(入社1,2年生)
- 地域の小学校、小学生の野外活動として ※学校によっては学年で踊りに取り組むところもある
- 高校の部活や大学サークルのひと夏の思い出として
取り入れられています。
また、ダンススクールや他の祭りで踊りを披露している団体にもご参加いただき、「長崎さるき」の厚みを増すことが出来ました。
長崎市外の参加団体も増え、幼稚園児から70代の大ベテラン、ダンスを本格的に取り組まれている方まで市民が作り上げるイベントへ成長しました!
※市内最大の夏祭りで各団体の成果・活動(ダンス)を披露できる場所の提供
※長崎さるきを通して、参加団体同士、長崎市、市内青年・経済団体の繋がりを構築
長崎YEGだから実現できる「推進力と継続力」!
21年前に始まった「先賢行列長崎さるき」先輩が汗をかいて作り上げた事業は、変革の時期を乗り越え、カタチを変え、今や壮大なスケールへと変貌を遂げました!
運営について意見を出し合い、関係各所との度重なる協議、資金面での協賛など多くのメンバーの時間と労力が注ぎ込まれています!
今後また変革の時期が来るかもしれません。
それもまた成長のチャンス!想いを繋げ長崎YEG!!
令和6年度 長崎YEGスローガン
Smile for all, Smile for YEG
(みんなに笑顔を、YEGに笑顔を)
単会情報
- 単会名
- 長崎YEG
- 主催者名
- 長崎商工会議所青年部
- 事業ジャンル
- 地域貢献
- 事業名称
- 先賢行列長崎さるき
- 開催日時
- 令和6年7月28日(日)
- 開催場所
長崎港(水辺の森公園、三角広場)
- 単会会員数
(事業開催時) - 193人
- 事業参加会員数
- 90人
- 参加率
- 46%